2018年5月30日水曜日

2018年5月30日

走り梅雨

 こんにちは。4回生の橋本です。
 いよいよ五月も終わりですね。ちなみに、五月末の梅雨に入る少し前に降り出す雨のことを「走り梅雨」と言うそうです。そして六月といえばやはり梅雨の季節、雨は嫌いではないのですが、低気圧に弱い人間としてはどうしても気が重くなってしまいます。実際に天気と体調には密接な関係があるらしく、特に女性は体調を左右されやすい人が多いそうです。
 雨が多い土地柄、日本では遥か昔から創作物の題材として雨が使われてきました。特に和歌や俳句の世界ではよく雨を用いた歌が多いですね。現代人と昔の人のちょっとした共通点です。

 例えば古今和歌集
 五月雨に 物思ひをれば 郭公 夜深く鳴きて いづち行くらむ
これは紀貫之が詠んだものです。旧暦と現在の暦は一ヶ月ずれているので六月の雨も五月雨と表現します。五月雨に物思いにふけっていると、夜深くにどこかからほととぎすの声が聞こえてくる。いったいどこへ行くのだろう……という内容です。雨の時はいろいろと考えてしまうものですが、そんなときに聞こえてきたほととぎすの鳴き声にふと気を取られてしまう。上の句ではその時間帯が夜であるということがわからないので、気がつくと夜になっていたのかもしれません。雨の時期はぼんやりと考え事をしてしまうというのは、今も昔も変わらないようです
 新古今和歌集には
 さみだれの 雲の絶え間を ながめつつ 窓より西に 月を待つかな
荒木田氏良の歌です。長雨になると、太陽や月が恋しくなるのは今の私たちと変わりませんね。窓より西に、ということは夜明けごろなのでしょうか。夜が更けても降り続く雨、雲の切れ間をぼんやりと眺めながら雨が上がるのを待っている。雨が降っていてなかなか眠れないままに、普段なら気にならないようなことが思い浮かんでしまい陰鬱な気分になる、早く月が顔を見せてくれればいいのになぁ、といった内容ですね。

 松尾芭蕉も五月雨の句を詠んでいます。
 五月雨を あつめて早し 最上川
一度は聞いたことがある有名な句ですよね。長雨の鬱屈としたイメージではなく、ダイナミックで爽快な最上川の流れを連想させ、憂鬱な気分を晴らしてくれるような句です。
 他にも
 五月雨の 振りのこしてや 光堂
光堂は中尊寺金色堂のことです。「ここだけ五月雨が避けて通ったのか?」と思うほど輝いている光堂が目に浮かびます。

 いかがでしたか?昔の人もこの季節には悩まされてきたようです。ですが、わざわざ憂鬱だとかぼんやりしてしまうだとかを歌にしてしまうなんて、実はそんな季節もまぁいいかと楽しんで愛でていたのかもしれませんね。芭蕉の句は、どちらかというとそんな憂鬱な気分を晴らしたいという雰囲気も感じられます。今週か来週には関西も梅雨入りするそうなので、皆さんも自分なりにこの季節を楽しんでみてください。