パソコンに眠る芸研古文書
芸研の学生研究室には現在4台のMacが並んでいます。そのうち一番右のiMacは10年くらい前に導入された一番古い機種です。今年度末に最新のiMacが入るので、廃棄の予定になっています。しかし、古いマシンにはいろいろと古いファイルや古いアプリが入っています。そのために最近あまり使われていないこの機械のハードディスクを確認して、必要な物をコピーする作業をしてます。
パソコンの世界は本当に日進月歩で、次々新しくなるので古いものがどんどん置いて行かれます。美術の業界でも、メディアアートの保存が問題になっています。昔の機械で作られたデジタル作品を保存していくには、そのファイルだけでなく、動作させるソフト、それが動く古いOSや古いパソコンも必要になる場合があります。これらすべてを保存していくのか、新しい環境に移行していくのか、またそれが可能なのか。学芸員の身になって考えると色々悩ましい事が多いです。
今実際に古いMacの中身をコピーしているところですが、コピーができたらそのあとで昔のソフトで作ったファイルがまともに見られるかどうかを確認しなければなりません。特に、昔の芸研のウェブサイトはhtmlで作って学内のウェブサーバにアップするというやり方をしていました。それを管理していたのがアドビのGoLiveです。各ファイルはGoLiveのウィンドウから操作していました。これを新しい機械にコピーした時、データやリンクが問題なく表示されるかどうか、ちょっと心配です。いまどきの人にはもはや何のことやら、という感じかもしれません。
そんなわけで、古いパソコンの中身を色々見ていたのですが、そこで気になる文書を見つけました。日付はそれほど古くないのですが、昔の内容をコピーして作られたようで、記事の内容は10年位前にさかのぼると思われます。
文書のタイトルは「近時研究室ニ生息セル未確認生物ヘノ聴取」となっています。誰が作成したのかは不明です。内容は芸研ちゃんのことを記したもので、芸研ちゃんの生い立ちからこの場所に住み着くようになった経緯が書かれています。「聴取」とあるように、芸研ちゃん自身の言葉を書き取ったもののようです。全文は下の方に転記しておきます。芸研ちゃんの特徴的な語尾「ぽよ」が使われていないのは不審ですが、研究室の古老の話では、初めのころはぽよぽよ言ってなかった、という説もあります。
この内容が事実なのか、それとも誰かの創作なのかは、今では判然としません。ただ、謎に包まれている芸研ちゃんの過去について、一つの説が提示されたものと言えます。色々衝撃的な話も含まれていますので、真偽の判断は読んだ方におまかせしたいと思います。
以下全文の引用です。
自分がどこで生まれたか、よくわからない。ただ薄暗いじめじめしたところで、たくさんのきょうだいと一緒に生まれたことはかすかに覚えている。生まれたてでみんなミーミー鳴いていたような気がするけど、たぶん気のせい。なぜならみんな口は刺繍で作られた×印だったから。
薄暗い木造の建物は細長い路地の奥にあった。昼はミシンの音が響き、夜は安酒でへろへろになった酔っぱらいの声が響いていた。部屋にはオランダのじいさんが書いた絵本があった。自分ときょうだいたちはなぜかそれによく似ていた。ほかにも耳の丸いネズミや黄色いネズミもいた。
しばらくして自分ときょうだいは段ボールの箱に詰められてどこかに運ばれた。次に気がつくと、まぶしい光が当てられたガラスケースにばらばらと投げ込まれた。ケースの天井からは3本指の鉄の手がおりてきて、自分たちたちを何度も何度も突き、つまみ、落とし、ひっくり返しつづけた。
鉄の手は拷問の仕上げとして、つまんだあと穴に落とした。きょうだいは少しずつ減っていった。ある日、初老の男が必死の形相でボタンを叩いていた。男の傍らには5歳くらいの幼女がいて、自分たちを指さしていた。自分もついにつまみ上げられて穴に落とされた。
自分を拾い上げた男は得意満面で幼女に手渡した。ところが幼女の顔はみるみる曇った。不審に思った男は自分とケース内のきょうだいの顔を見くらべて言った。「不良品だな」。この時はじめて自分は知った。自分の口はきょうだいと違って×印ではなくム印になっていることを。
男に呼ばれた店員はガラスケースを開け、きょうだいのひとりを幼女に与えた。自分は元に戻されるのではなく、店員によってひとけのないところに連れて行かれた。店員はあらためてこの顔を見て吹き出したかと思うと、あたりを見回して人がいないことを確認し、自分のカバンに押し込んだ。
翌日、カバンからつかみ出された自分は、「なにこれー」「うける−」という若い女たちの高らかな笑い声につつまれた。店員は昨日とは違う制服を着ていた。周りの女たちも同じ制服だった。自分は生まれて初めてちやほやされた。その時はこれが一瞬で終わるとは思わなかったが。
その日の夜、カバンから出された自分は、押し入れの木箱の中に放り込まれた。箱の中にはたくさんの人形がいた。みんなこの箱で何年も寝ているらしい。みんなここに来るまでには色々あったらしい。その中で新入りに何度も同じ話をするカウボーイ人形のおっさんがひたすらウザかった。
あれからどれくらいたったか。その日は唐突に来た。自分をここに連れてきた店員は、大学生というものになっていた。学生は芸大という所に自分を連れてきて、貼り紙をされた箱に投げ入れた。貼り紙にはこう書いてあった。「作品作りのためにぬいぐるみを集めています」。
箱の中身は別の学生によって回収された。そこでは古ぼけたぬいぐるみが山積みされていた。その学生はカッターで一つ一つ丹念に切り裂いて手足を落としたり、中の綿を引き出したりしていた。自分の順番は明日かな、明後日かなと思いながら過ごしていた。
そこにまた別の学生が来た。ぬいぐるみの山から自分を見つけて、ひとしきり笑ったあとこんなことを言った。「口がムになってるから、顔が芸の字みたいじゃない?面白いからこれもらっていい?」。この学生の名前はSと言った。もらわれた自分は眺めのいい4階の部屋に連れてこられた。
Sはパソコンの上の棚に自分を置いて、着ている服にマジックで「研」の字をかいた。それ以来自分は「芸研ちゃん」と呼ばれている。しばらくするとSは芸研ちゃんの名前でツイッターにいろいろなことを書き込むようになった。これが自分の特殊能力「人間イタコ化術」であることはまだ秘密だ。