お久しぶりです。
倉澤です。
現在、京芸は作品展の真っ最中です。
さて、そんな中、今年度のWeb班の活動(展覧会情報、日誌、レビュー等の更新)の疲れを癒すべく皆で遠足へ行ってきました!
行先は、京都府八幡市。
八幡市と言えば、最近国宝となった男山の石清水八幡宮が有名ですよね。
さて、ここで今回の遠足で重要なキーワードとなる「松花堂」について少しご説明いたします。
「松花堂」とは江戸時代初期の僧侶、松花堂昭乗(天正10年~寛永16年)が晩年に建てた草庵の名称です。
昭乗は「書」、「画」、「茶道」、「和歌」に秀でた文化人であり、特に「書」では独自の松花堂流(滝本流)という書風を編み出し、近衛信伊、本阿弥光悦とともに「寛永の三筆」と称せられました。また、昭乗自身、多くの文化人とも交流がありました。
・松花堂美術館
今回、松花堂美術館では「平成28年度 館蔵品展Ⅲ 【小特集】鳥とりどり」の展示を観てきました。今年の干支である酉に因んで鳥が描かれた美術・工芸品が集められていました。
松花堂昭乗の作品は「鶏図」、「雉図」、「叭々鳥図(複製)」の三点が展示されており、田島先生曰く昭乗の作品は「ぼんやりとした水墨画」が特徴だそう。
確かに、昭乗の作品はにじみのような柔らかい筆の表現で描かれており、「鶏図」の鶏も若冲の様な迫力はなく、おおざっぱな輪郭のとさかや羽毛、上を向く瞳のどこかとぼけたような表情等、ユーモラスでした。
・松花堂庭園
草庵茶室 松花堂
昭乗が寛永14年(1637)に建てたもの。
泉坊 車寄せ
屋根上の唐破風瓦は、寛永の三筆が筆を執ったもので
「福」は近衛信尹、「禄」は本阿弥光悦、「寿」は松花堂昭乗の筆と伝えられています。
庭園内に植えられた、梅や椿の花がちらほら咲き始めていました。
春よ来い。
お昼はあの松花堂弁当を食べました!
松花堂弁当
その名前の由来は、昭乗が好んだ四つ切り箱が器の基になっています。
農家の種入れとして使われていた、箱の内側を十字に仕切った器をヒントに
昭乗が、茶会で使用する煙草盆や絵の具箱として使用したそうです。
彩がとても綺麗です。
私のおすすめは、手前の魚の揚げ物。
まるでおかきの様に香ばしくてびっくり。
お造り
イカの刺身が甘かった。
炊き合わせ
お出汁が沁みています。ほんのり温かいのが嬉しい。
胡麻豆腐
ねっとり滑らかで上品。
今回、食した松花堂弁当は私が日頃食べている「〇〇の味がする」と一言で言えるような単純な味ではなく、出汁や野菜、魚等、様々な要素が交じり合って構成されていました。見た目だけでなく味も彩り豊かです。一品一品それこそ丁寧に味わって食べるので、お弁当自体はそこまで量があるわけではないのですが、お腹一杯になりました。
さあ、お腹も心も満たされたところで男山にある石清水八幡宮を目指します。
表参道徒歩30分。
一の鳥居
ここが表参道の入口です。
先頭を行く田島先生と竹浪先生。
学生達も負けじと付いていきます。
・松花堂跡
松花堂と泉坊の客殿は、明治初年の「神仏分離」後もしばらく男山に残っていました。
しかし、明治7(1874)年頃に京都府知事より「山内の坊舎は早々に撤却せよ」との
厳命が下ったため、当時の住職が山麓の大谷治麿氏に売却し
幸運にも破却されずに残りました。
その後、幾度かの移築を経て、現在の松花堂庭園は
昭和52(1977)年に八幡市の所有となり管理運営されています。
茶室の間取りが示してありました。
四畳半ほどの広さです。
・石清水八幡宮
これを拝まずには帰れない!
石清水八幡宮は、宇佐神宮、鶴岡八幡宮とともに日本三大八幡宮の一つです。
起源は平安時代始め、南都大安寺の僧・行教和尚は豊前国(現・大分県)宇佐八幡宮にこもり日夜熱祷を捧げ、八幡大神様の「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との御託宣を蒙り、同年男山の峯に御神霊を御奉安したことから。
また、毎年9月15日に行われる石清水祭は大祭として
葵祭、春日祭とともに日本三大勅祭の1つに数えられています。
今年の2月9日に国宝に認定されました。
赤い社殿が美しい。お参りしてきました。
龍と虎の彫刻が施してありました。
今回、見ることは出来ませんでしたが御本殿を囲む瑞籬には
極彩色の欄間彫刻が150点以上も施されており、一説には
江戸期の名工・左 甚五郎一派の作だとか。
・展望台
京都タワーが見えるので、ちょっと楽しいです。
平日かつシーズンオフということもあり、とても閑散としていました。
春は桜の名所です。
八幡竹クラブの作品
・休息所周辺
おそらくボーイスカウト関係であろう謎の像。
Fさんが「最近は(技術の発達で)写真のピースサインも指紋を悪用されるから、今度から写真に写る時はこのポーズにしようかな」と言っていたのが印象的でした。
なんとエジソンが発明した白熱電球のフィラメントは男山の真竹だった!
・こもれびルート
帰路は表参道ではなくハイキングルート?である「こもれびルート」にしました。
ただ、なかなかにこの「こもれびルート」が分かりにくく、二回ほど「偽こもれびルート」に迷い込みました。
「偽こもれびルート」その2
この道は途中から明らかに一般者向けではなくなりました。
「こもれびルート」の入口
急な階段や下り坂が続きます。
・男山の頂上
途中男山の頂上を通りました。
ただし、見晴らしゼロです、、、。
国分寺跡
道中でケーブルカーと遭遇。
手を振りました。
・神應寺
このお寺へ行くために「こもれびルート」を選んだと言っても過言ではない。
神應寺
しかし今回の目的はお寺ではなく神應寺の墓所です。
長澤蘆雪の墓
蘆雪の「雪」の文字が見えますか。
因みに、長沢 蘆雪(宝暦4年~寛政11年)とは、江戸時代の絵師です。円山応挙の弟子で大胆な構図や奇抜な画風で知られています。
田島先生はここで墓石とツーショットを撮っていました。
・下山そして休憩
駅の近くのお茶屋さんで、ほっと一息入れました。
走井餅
私は今回初めてこのお餅を食べました。
こし餡を餅で包んであります。
ほとばしる水滴の形を表わしているとか。
なかなかに盛りだくさんの遠足でしたが
美術作品を観る、美味しいものを食べる、歴史に触れる、体を動かす、と非常に充実しており
とても楽しかったです。
来年度もWeb班の活動をしっかりやっていきたいです。